ジョブズの死に想う

スティーブ・ジョブズの死が伝えられた日の午後、ちょうど私は、この下期の全社の活動計画会議でした。
会議の冒頭で、やはり、ジョブズの死に哀悼の意を表さざるを得ませんでした。
なぜなら、彼が存在しなければ、我々のような会社も、また我々が属する業界も、今のような形ではなかったのだろうな、と想像してしまうからです。
WIZWIGという考え方をコンピュータの世界に持ち込み、Adobeの製品群とともにデザインのプロセスを革新したり、スマートフォンやスマートデバイス、それらの上のアプリといった概念を一般に定着させたりと、我々がビジネスの土台としているものの多くは、ジョブズが切り開いてきたものです。

スティーブン・スピルバーグは「エジソン以来の発明家」として、その死を悲しむTweetをしたそうですが、なるほど、エジソンにたとえられるのも、分かる気がします。
小学生のころ読んだ伝記では、エジソンは、天才発明家といわれているが、実は大変な努力家である、という道徳的な論旨で、その一生が語られてたのですが、実際のエジソンは、その組織的な対応により特許競争に勝ち抜き、発明王としての名を勝ち取り、白熱電灯のように発明では他者に先行されても、実用化において勝利するといった、やり手のビジネスマンでもあります。

Appleの最近の勢いをみるにつけ、ジョブズのカリスマ性だけではない、組織/カルチャーとしての強さを感じます。私自身がMacを使うようになったのは、ジョズブがスカリーに追われてからですが、そのころAppleに抱いていたイメージと、今のAppleが与える印象は大きく異なります。ジョブズは、復帰した際に、恐怖政治とも言われる、強権発動を行ったとか、ワークスタイルが一変したとか言われていますが、その結果として、徹底したブランド管理と情報統制が実現し、優れた製品とサービスを提供する会社というイメージを強固なものにしました。

私が本格的に使いはじめたころは、Appleは優れた製品を提供はしてくれていたけれど、サポートと言えば、熱心なMac専門ショップが担当しているもので、どのショップとつきあうかが、その後のMacライフに大きな影響を与えるようなものでした。あとは、コミュニティで、ユーザー同士で助け合うしかなく、優れたインターフェイスで使いやすさを提供しているものの、仕事で使いこなすとなると、それなりにハードルの高いプロダクツだったと思います。
ところが、現在のAppleは、卓越したプロダクトだけでなく、それとともに提供されるサービスも含めて、トータルのユーザーエクスペリエンスをクオリティ高いものにすることに、見事の成功していると言えるでしょう。

実際は、スカリーの時代に「空想」されていたことが、ジョブズの時代に「現実」になったのかもしれません。
ちなみに、認知心理学者でヒューマン・インターフェイスやユーザビリティの大家である、ドナルド・A・ノーマンが、スカリーの時代に、Appleの副社長をしていました。
ナレッジ・ナビゲーターといったAgent機能のコンセプトや、初のPDA、Newtonなど、少し先の未来を提示していたのは、スカリーの時代のAppleだったように思います。ジョブズは、彼がMacをないがしろにしている、という理由で批判をしていたわけですが、彼からすれば、手に触れてその素晴らしさを感じ取れる、具体的なプロダクツでなければ、Appleとして出すべきではない、と思っていたのでしょう。
ジョブズのプレゼンテーションを見ていて感じることですが、非常に具体的で、プロダクト自体が無理なく提供できる基本機能(それ自体が、他と比べて圧倒的に優れているわけですが)で、見せ場を作り出しています。これはMacをデビューさせたときのデモ、「Hello」から、変わっていないと思います。きっと非常にリアリストだったのだろうと思います。
そうして考えると、ジョブズは、自身の健康問題を考慮して、亡き後のAppleについて、おそらく周到な準備をしてきたのではないでしょうか。自分がいなくても、自律的に動いていく組織。。そしてそれは、一人の天才よりも、組織・集団でうごくように、設計されてきたのではないか、そんな風に思えます。

ジョブズの精神が組織のカルチャーのなったのだとすれば、エジソン亡き後のGEのように、今後数十年間にわたって、優れたエクスペリエンスを提供する会社として、業界をリードしていくのではないでしょうか。またユーザーとして、期待もしたいと思います。